Masahiro-tantoujo
京刃物
その美しさや神秘性に魅了され、世界各地のコレクターの心を惹きつけてやまない日本刀。日本刀を作ることを許された刀剣専門の鍛治職人である「刀鍛冶(かたなかじ)」は、かつては日本に多くいたものの、現在日本国内で300人を切り、実際に作刀している刀工はさらに少ないと言われている。
刀匠将大(まさひろ)こと中西裕也は、伝統文化が脈々と続く京都でも数少ない刀鍛冶だ。
子どもの頃から刀が好きで、幼稚園のときに木で刀を作り、小学生の頃に京都国立博物館で刀を見てその美しさに心を奪われ、幼くして刀鍛冶になることを決意した。
刀鍛冶になるには刀匠資格を有する刀鍛冶の下で5年以上修業をし、文化庁主催の「美術刀剣刀匠技術保存研修会」を修了しなければならない。修業先を探すのは容易ではないそうで、中西も高校卒業後は三重の大手自動車工場で働き刀匠になるための資金作りに励み、修業先を探した。1年半後に福島市の刀匠に弟子入りし、7年間の修業を経て、緑豊かな京都・亀岡に将大鍛刀場を構えた。現在、将大の銘の日本刀は予約で埋まり、1年待ちになることもあるという。
日本刀は、古代から伝わるたたら製鉄という技法のもと、砂鉄から作られる「玉鋼(たまはがね)」という純度の高い鋼を原材料としている。玉鋼は島根県奥出雲町に現存するたたら場にて年に一度だけ作られることからも、その稀少性がうかがえる。
作刀には様々な工程を要し、そのすべてを手作業で行う。「鍛錬」では玉鋼を叩いてつぶして混ぜ、酸化と還元を繰り返す作業を重ね、玉鋼に含有する炭素量を均一化し、地鉄にムラが出過ぎないようにする。刀のおおまかな形と寸法を作る「素延べ」、刃の角度や姿を作っていく「火造り」、やすりで仕上げる「生仕上げ」、部分により土の厚みを塗り分け刃文のベースをかたどっていく「土取り」、そして再度刀身を加熱し水中に入れ急冷することで鋼を硬化する「焼き入れ」を行い切れ味を良くしていく。刃の部分は硬く、棟の部分は硬化させず仕上げる。一本の刀に相違する組成の鋼が共存することと特有の反りで強度が増しているのも日本刀の特長のひとつだ。その後研ぎ師、銀師(しろがねし)、鞘師が各部を仕上げ、最終調整し完成となる。一本の日本刀を作るのに、およそ1年の時を要する。
焼き入れにより生じる刃文の輝きや反りの美しさも、日本刀特有のものだ。
「日本刀も西洋の刀剣も耐久性や切れ味は古今東西皆がそれを目的に刀剣を造っているので優劣の比較は出来ませんが、刃文で美しさを表現するというところに、日本人の美意識や日本刀の本来性を感じます。古代の人が武器である刀に美しさを求めたのは、より美しいものこそが生命力が高いと感じたからでしょう。太陽のように輝き、生命力があるものに人間は惹かれ、そこに神様がいると思った。刀にも同じものを求めたのでしょう」と中西は語る。「そうして日本刀は武器としての『用』、美意識が体現された『美』、そして精神的な支えである『御守り』の役割を果たしながら、長らく人々に信奉されてきたのだと思います」
刀作りに必要な玉鋼、炭、土、水、風、あくまでも自分はその存在をアシストする立場であり、「いかに自分を出さないかということが大切」だという。
「本当にこれでいいのかと、常に自分を疑いながら作っています。生みの苦しみもあり、人間はつい自分に都合がいい正解を探してしまいますが、近づけば近づくほど真理が遠ざかっていく気がする。終わりがありません」
幾多の工程を担うその掌(てのひら)は厚く、鋼と対峙する眼差しは鋭いが、私たちと話すときは終始にこやかで軽快な口調だ。精巧なもの、遊び心があるものへの探究心は止まらず、専門業者と協働し時計を試作中だそう。剛柔併せ持つ刀匠が手がける刀には、自然と人の営みが育くんだ美と生命力が宿る。