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京七宝 ヒロミ・アート

Hiromi-art

京七宝

色彩豊かな京七宝の工房

 

 

七宝は銀や銅などの金属の上にガラス質の釉薬をのせて彩色をし、750度前後の温度で焼き付けて作られる金属工芸だ。その歴史は古く、紀元前の古代エジプトで生まれたと言われ、かの有名なツタンカーメンの黄金のマスクにもその技術が取り入れられている。日本では飛鳥時代の斉明天皇の墓とされる牽牛子塚(けごしづか)古墳から出土された飾金具が最古の七宝とされている。

もともと七宝という言葉は、仏教経典にある金・銀・瑠璃(るり)・玻璃(はり)・硨磲(しゃこ)・珊瑚(さんご)・瑪瑙(めのう)の七つの宝を意味する(宗派によってその種類は異なる)。その七つの宝のように美しい焼き物として、日本では七宝という名が付けられた。

1970年に京都で創業して以来、ヒロミ・アート工房は50年以上にわたり、京都で作られる七宝「京七宝」の制作を続けている。代表の野村ひろみは、聚楽第のものと伝わる細見美術館所蔵の七宝の釘隠しの写真を義兄に見せてもらったことをきっかけに七宝に魅せられ、25歳のときに工房を構えて制作を始めた。京七宝を伝承する数少ない職人として、アクセサリー、器、インテリアなどさまざまな作品を世に生み出している。京七宝の魅力をより知ってほしいという思いから、七宝づくりの体験ができる店舗も構えた。

 

 

「古くて新しいのが日本の伝統工芸」

 

 

ヒロミ・アート工房では、「有線七宝」という技法で七宝を作り上げていく。

まずデザインに合わせて金属の板を切り土台となる素地を作り、その素地に無色透明の釉薬を付け下焼きし、ピンセットを使いながら1~2.5mm幅の帯状の銀線で中の模様を作っていく。銀線で区切られた部分に、筆やホセ(竹べらのようなもの)を使って釉薬を数回に分けて差していき、電気炉で焼成する。その後、表面の凹凸を砥石で磨き、再び電気炉で焼いて焼きツヤを出し、加工した銀線や銀箔で加飾。仕上げに表面を磨く。そうしてミリ単位の繊細な手作業が繰り返され、完成となる。

七宝の土台には銅が使われることが多いが、ヒロミ・アートでは銀を用いることが多い。金属の色が白いので釉薬の色の再現性があり、現代的なビビッドな色彩が浮かび上がってくる。

「昔のままというだけではなく、新しく今風にアレンジしたい。『古くて新しい』のが現代の日本の伝統工芸だと思うので、かつてのものを踏まえながら、つねに新しい七宝を作って人に感動を与えられたら」と野村は語る。

 

 

それぞれの感性により生まれる輝き

 

 

ヒロミ・アートでは、次世代の作り手も活躍している。七宝職人であり東山店店長の小西孝代は「金属にガラスの釉薬を焼き付けるということが七宝のいちばんの魅力です。素地の金属によって色の発色が異なり、金属と釉薬をどう掛け合わせるかによって、色の美しさが変わってきます」とその奥深さを語る。彼女は、小学生の頃に七宝体験をしたことがきっかけで、この道に進んだという。

また、もう一人の職人、室井麻依子は「金属工芸の多くは金銀銅黒赤といくつかしか色がありませんが、七宝は多くの色の幅を出すことができ、平面も立体も作ることができる。宝石のように仕上げることもでき、作っていても面白いです。お客様に『身に付けたい』『使いたい』と思ってもらえるよう、目に留まるものを作るように心がけています」と語る。「量産品よりも一つのものを大切に作りたい」という思いから、 東京藝術大学美術学部を卒業後、地元を離れ、京のこの地で七宝づくりを続けている。


「七宝は組み合わせにより自由自在に色を作ることができ、その人の感性によって素晴らしいものができます。京七宝を絶対に残してほしいし、ますますその魅力を伝えてほしいと思います。ヒロミ・アートの作り手は、二人とも技術的にも感覚的にも独特の個性があるので、職人として、作家として、ますます羽ばたいてほしいと願っています」

野村は次世代への思いをそう語る。店舗で開催している体験教室の参加者の中にはリピーターもいるそうだ。

野村は16年前、京七宝のさらなる普及と伝統継承のため、同業者とともに組合を設立した。野村が半世紀かけて蒔いた京七宝への情熱の種は、三人の手によってすこしずつ、けれど着実に芽を出しつつある。

 

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京七宝 ヒロミ・アート

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◉京七宝 ヒロミ・アート

京七宝工房。1970年創業。1994年有限会社ヒロミ・アート設立。京都・嵐山に窯元を、東山に店舗を構える。主な受賞歴に「京都市金属工芸研究会・金工展 京都市長賞」などがある。

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