Nao Hara
陶磁器-京都
手をつなぎ踊る三匹のうさぎの置物「三兎ちゃん」。上から見ると乳房を思わせる形の振出「チチフル」。磁器に藍色(コバルト)で染め付けした原菜央の陶芸作品には、繊細な絵付けや愛らしいモチーフの中に、ユーモアや毒々しさが絶妙なバランスで入り混じっている。
神戸生まれの大阪育ち。「切ないことも面白くしてしまう関西ソウル」で育ち、子どもの頃は何かを決められると面白いことがなくなってしまうように感じたそうで、既存のものを使うのではなく、何もないところから創造することを大切にし、人形の服など様々なものを自作していた。京都の美大を卒業後、釉薬の研究所と絵付の訓練校にて研鑽を積み、現在は京都に工房を構える。成形、絵付、焼成など一連の作陶を自身で手掛ける。
「陶芸は古代に渡来したのち、時代を経て日本独自の文化へと発展し、現代では身近なものとなりましたが、その世界に魅了され続けています」と原は語る。古今東西で使われている普遍的な形や文様に、今を生きる感性をさらに融合させたいという。「最近ではアニメや漫画、キャラクター的要素を組み合わせ、そこに潜む伝統的な要素との共通点を見出しながら、新たな陶磁器の文脈を作っていけたらと考えています」
磁器の魅力には、その妖艶な質感はもちろん、成形が簡単ではないぶん造形力を試されているように思うところにもあると原は語る。絵付けに藍色を用いるのは「透き通った藍は成分や生地、窯の調整、釉薬の調合によりいかようにも表情が変わる。常にこちらもまっすぐで正直でいなくてはという気持ちになり、自分そのものを見透かされているような気分になる。私は藍色に嘘はつけない」と語る。マットな釉薬を使い、しっかりと描いた線をあえてにじませるのも、観る人の想像をかき立てるのが狙いだ。ものづくりの端々から、素材そのものや使い手など、他者の感性を尊重したいという真摯な姿勢がうかがえる。
作品にモチーフとしてよく登場するうさぎは、海外でとあるうさぎの置物と出会ったことをきっかけに、遊びの一端として自分なりのうさぎを作ることから生まれた。
「西洋でも東洋でもうさぎはよく神話に登場したり、工芸品の意匠に使われたりしますが、存在感はありつつも前に出過ぎず、そっとそこにいることが多い。私を支えてくれるイマジナリーフレンドみたいなものかもしれません」
出身地ではない京都で作陶に勤しむなかで、地域の人との信頼関係を築く大切さや、そのありがたさを学んだという。中国や韓国など海外でワークショップや講演をする際も、現地の人と積極的にコミュニケーションを取り、その土地の風土や文化に理解を深めることを心がける。
「郷に入っては郷に従えではないですが、その土地の作品、言語、音楽、料理をすこしずつ理解し、特徴をつかむことで器にも表現できれば」と原は語る。地元の人から信頼を得てその土地特有の稀少な土を譲り受け、器を作ったこともあるそうだ。何度も足を運ぶ中で、韓国語も少し話せるようになったという。地域性を尊重し地元の人を敬う京都で培われた精神性は、今やグローバルに花開いているようだ。
懐石料理店でアルバイトを経験したり、食器売り場で売れ筋をチェックしたりするなど、器がどのように使われているかについて客観的に知るアンテナも常に張り巡らせている。「この世界から絶やしちゃいけないものってなんだろう」「必要とされる器ってどんなものだろう」と、その思索は尽きない。
自身の器をどういうふうに使って欲しいか尋ねたところ、「飾っても使っても面白い、常に寄り添うインテリアであり、生活の一部になってもらえたら嬉しいです」と語る。独創性あふれるものづくりの背景には、面白いものを世に生み出そう、誰かを楽しませようという遊び心がありながらも、他者に対する畏敬の念がある。
梱包されていた作品を取材と撮影のためにいくつも解いて見せてくれたので、帰り際に「私たちもお手伝いしましょうか」と声をかけると「私は作品の母なので私が梱包します、ありがとうございます」と丁寧に返ってきた。原の子どもたちは母に包まれ、見送られたのち、どんな場所で愛でられ、どんな旅をするのか。そっとうさぎが教えてくれるかもしれない。
原 菜央
Nao Hara
◉原 菜央(はら・なお)
陶芸家。京都精華大学陶芸分野卒業(2007年)。京都市産業技術後継者育成研修専修科修了(旧京都市工業試験場 2009年)。京都府立陶工高等技術専門校図案科 基礎終了時中退(2009年)。多種多様な伝統的モチーフやデザインを交え、国境を越えた陶磁器デザインの要素を現代的に解釈し、日常のあらゆるものから受けるインスピレーションを投影した作品を手掛けている。