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齋田石材店

Saida Sekizaiten

京石

道を拓く老舗石材店5代目

 

 

亀岡市曽我部町。能勢方面へ向かう法貴峠のふもとにあたり、すぐそばには細川晴元の家来・酒井三河守が築いた法貴山城の跡が残る。数々の歴史が動いた地に、1902(明治35)年創業したのが「齋田石材店」だ。

初代・齋田末次郎が法貴峠にて「法貴石」を採掘したことが、齋田石材店の始まりだとされている。2代目の梅次郎は「妙見道」の大鳥居を、4代目の実は瀬戸内寂聴が開いた「寂庵」の塔や道明寺灯籠をつくり、代を重ねてきた。法貴石はすでに使われていないが、時代とともに必要とされる石材加工や石の彫刻を制作してきた。

現在5代目を務める齋田隆朗は、石材店のあり方を変容させるような実践を行っている人物だ。伝統工芸品としての灯籠をつくるほか、石材を用いたワインクーラー、「切子蹲」を模した盆栽鉢などのプロダクトも生み出した。さらに近年では国外にネットワークを広げ、日本の工芸を通して互いをつなげることにも取り組んでいる。

 

 

わからない中で得た自分の美学

 

 

齋田石材店の敷地内には、代々が手掛けた灯篭や、かつて五条橋の欄干だったという石など、貴重な石材が積み上げられている。自宅と工房の間には、小さな古墳も。「この辺りはたくさん古墳があって、子どもの頃は遊び場でしたよ」と隆朗は話す。

幼少期は、空手の道場も開いていた父に厳しく育てられた。その反動か、中学生の頃から家を出るようになり「暴走族」に。若くして子どもを授かり、10代で結婚。鳶職に就いたが「継ぐなら早いうちがいい」という妻の勧めもあり、21歳で家業に入ったという。

「その頃は石材のことなんて、全く。伝統工芸の価値もわかんなかったですね」。

仕事は父の背中を見て覚え、毎日ひたすら石を叩いた。始めは力加減もわからなかったが、いつしか自分らしい美学と技が身についていた。

「例えば『丸』をつくるのは難しいんですけど、ほんまの丸をつくろうと思って機械を使うのは伝統工芸品として違うじゃないですか。それよりもちょっと歪んで、不完全な方がいい」。

 

 

持続可能な関係をグローバルに築く

 

 

意識が変わったきっかけは、なんとサーフィンだ。常に自然と隣り合わせのスポーツを通して自然に対する見方が変わったこと、さらに波を求めて遠征した海外で日本の伝統工芸の凄さを感じたことが大きかった。

海外にも展開したいと思い始めた頃、イタリア人から依頼を受けたことが、大きな機運となった。以後、ローマ・サピエンツァ大学でワークショップをひらくなど交流も生まれたという。

「京都は職人さんがたくさんいるけど、新しいデザインができずに行き詰まっているところがある。反対にイタリアは、デザインはできるけど職人がいないんですね。お互いの課題を一緒に考えられたら、持続可能な関係が築けるんじゃないかと思っているんです」。

そのほかにも現在、京都の工芸士がアメリカで活躍できるようなロールモデルをつくろうと奔走している最中だ。広がりつつある輪は、日本の伝統工芸の未来も育むことになるだろう。

 

◉齋田石材店の作品はこちら

齋田石材店

Saida Sekizaiten

齋田 隆朗(さいだ・たかあき)

「齋田石材店」5代目。京都府が認定している京もの認定工芸士や一級石材加工技能士の資格を持ち、灯籠など石材加工や彫刻を行う。2020(令和2)年、「平等院鳳凰堂」の床石(一部)修復工事など手掛けたものも多数。近年はアメリカ合衆国やイタリアにて石灯篭の展示や制作実演を行うなど、活動の場を国内外に広げている。

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