Koseido
京表具
表具とは、紙や布などを糊で張り合わせ仕立てる掛け軸・巻物・屏風・衝立・障子などをいう。弘誠堂は、京都に三代続く表具屋だ。
表具の歴史は古く、平安時代に中国から仏教伝来とともに経文が書かれた巻物が伝わったのが始まりとされ、仏画を拝むために掛け軸も伝播した。当時、政治と文化の中心であり神社仏閣の多い京都では、表具の文化が町とともに発展を遂げていった。
表具師は掛け軸などの美術工芸品の表装だけでなく、襖や障子、壁装など生活に根付いた実用的な表装も手掛ける。
「いろんな種類の糊と和紙を使いこなし、絵や書を引き立てるために演出をしていく。表具師とは、作品をよく見せるための演出家のようなものかもしれません」と弘誠堂二代目の田中善茂はにこやかに話す。
本紙と言われる掛け軸の中央に掲げられた書や絵などの作品の魅力を最大限に引き出すため、紙や布を糊で張り合わせ各部位の意匠を整え、本紙の時代性にあった掛け軸を作り上げていく。
善茂曰く、表具において何より大切なのは、本紙を大切に保護し修復していくことだという。古い表具や書画を修復し再生することも、表具師の大切な仕事だ。雨漏りでシミがついた絵、バラバラになった書など、素人目には手の施しようが無いように見える作品や、数百年前の書画を秘伝の技法で丁寧に修復していく。
「直してほしいと持ってくるということは、その表具を大切にしているということ。たとえば古美術としての市場価格は0円でも、ご家族からしたら大切なもの。どういったかたちでも次の世代にバトンタッチするのが、弘誠堂の願いです」
三代目の田中健太郎は、真摯な表情で手を動かしながらそう語る。
「50年後、100年後にも修理できるように、次の世代につながっていくようにと心がけて仕事をしています。現代の技術だと直せなくても、最善を尽くして再生しておけば、100年後には直せるようになっているかもしれないですしね」
息子のその言葉を聞き、「100年後の表具屋さんにバトンタッチする仕事や」と善茂はつぶやいた。こうして根気強く作品と向き合い、後世に伝えていく存在があるからこそ、文化は脈々と続き現代まで繋がってきたのだろう。
二代目善茂は子どもの頃から手先が器用で、自分でおもちゃを作っていたという。ミュージシャンでもあり、高校生の頃は自主ライブで1000人のホールを満員にし、卒業後はナイトクラブで演奏、今も自宅に小さなライブハウスを構える。そのクリエイティビティと実行力は表具にも発揮され、表具プロデューサー源五郎として、焼箔を施した屏風やコースター、西新の綴れ織を活かした屏風、漆の鏡など、現代の住空間に合う表具を新たな切り口で手がけている。
「家に床の間がない人にとって、いきなり掛け軸はハードルが高いでしょう。新しいものをきっかけにして、表具に興味をもってくれたら」
そうして生まれた作品は、フランスの「メゾン・エ・オブジェ」に定期的に出品されるなど、国内外で新たな層を魅了している。
思いついたらすぐに体が動くという二代目と、時に算段をつける間もなく行動に移す二代目の「暴れ馬の手綱を引き締め」ながら作品と真摯に向き合う実直な三代目。絶妙なコンビネーションだ。
彼らが次世代へと繋ぐものや新たに生み出すものからは、人の営みに対するあたたかなまなざしが伝わってくるようだ。
弘誠堂
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◉弘誠堂
初代田中武夫が戦後、京都で本格的な表具の技術を学ぶために上洛し、文化財の修復を手掛ける工房で修行を積み、その後京都市で1953年に独立。数多くの古美術品、寺院の仏画、掛け軸、屏風などの修理修復や表具の新調を手掛ける。
◉二代目 田中 善茂(たなか・よししげ)
1957年京都生まれ。京表具伝統工芸士、京表具協同組合連合会副理事長。中学生より音楽活動を開始。21歳でバンド解散後、幼少の頃から携わっていた表具の世界へと進み、父(故・田中武夫)に師事。主な受賞歴に「経済産業大臣」表彰(2018年)など。
◉三代目 田中 健太郎(たなか・けんたろう)
1986年京都市生まれ。大学を卒業後、公認会計士を目指し専門学校に通うがバイクを運転中にトラックとの事故で入院。快復後に表具業に従事し現在に至る。主な受賞歴に「第64回表美展」京都府知事賞(2019年)など。
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