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京の庭大工 植司

Minagawa Takuya

庭師

本法寺に誕生した、若き庭

 

 

堀川寺之内にある、日蓮宗の本山・本法寺。本阿弥光悦がつくった「巴の庭」があり、長谷川等伯が描いた「佛涅槃図」が現存する、さまざまな芸術家と深い縁で結ばれた寺院である。

境内の大摩利支尊天堂に参ると、目に飛び込んでくるのが「摩利の庭」だ。摩利支尊天に見立てた、大きなさざれ石。その周囲を囲うようにある京の銘石・加茂七石は、遣いの猪だ。摩利支尊天が太陽や月といった光の神でもあったことにちなみ、苔むした深草土の三和土(たたき)は三日月を、地面からそびえ立つ六方石は光を表しているという。何億年もの時間が重なり合う石、自然の中で青く茂る木々や苔が光に照らされ、自然の強い生命力を感じさせる庭だ。

つくり手は、庭大工の皆川拓哉。もともとサッカー選手を目指し、ブラジルに渡ったこともあるという、ユニークな経歴の持ち主である。齢34歳。若手ながら、仕事で培ったという石への造詣の深さ、そして庭への情熱は随一の庭大工だ。

 

 

「200年後に続く庭」プロジェクト

 

 

2019(令和2)年、皆川はあるプロジェクトに参加する。上京区の寺院や神社、町家などを会場に、伝統工芸品の展示やアート作品の展示を行う「まるごと美術館」の一貫として、庭を新たにつくり、次代に残す「200年後の名勝」プロジェクトを立ち上げたのだ。

人々が庭に触れる機会が減少する中、後世に続く庭を残したい。まずは魅力を伝えていく場をつくる必要があると皆川は考えていた。そのためにも、子どもたちとともに庭をつくることができたら。クラウドファンディングで資金を募り、本法寺で実現することを目指した。

目標金額は達成できなかったが、個人的に支援したいという申し出があったという。ところがパンデミックが起こり、人員を集めることも難しい状況に。皆川は、平日に通常業務をする傍ら、週末に本法寺にやってきては、黙々と庭をつくり続けた。作業は2年にも及んだが、忍耐強く庭と向き合えたのはひたすら毎日サッカーをしていたおかげかも、と皆川は笑う。当初の構想からは離れたが、この「摩利の庭」が出来上がった。

 

 

庭をつくり、残していきたい

 

 

庭はそもそも、日本の住宅にとっても切り離せない存在だ。「庭をつくってから建物を建てる」と言うほど、優先順位の高いものだった。しかし近年では、庭を壊しガレージに変える家も増えている。皆川はそんな状況を危機的に感じているという。

「『家庭』という字は、『家』と『庭』でできていますよね。その言葉の意味を考えた時、これから庭がなくなっていくのってどうなんだろうと思うんです。外構を頼まれる時は、その家のお子さんと同じ年齢の樹木を植えることを勧めたりするんですよ。庭に、何か思い出として残るものがあるといいなと思って」

何より、庭をつくることが楽しいのだと皆川は話す。サッカー選手から庭大工になるまでの間、さまざまな仕事を経験したが、庭づくりほど自分を夢中にさせるものはないのだという。その思いはこの先も変わらない自信がある。

「とにかく庭をつくって、残したい。そんな気持ちが強いですね」

 

◉京の庭大工 植司ー皆川拓哉の作品はこちら

京の庭大工 植司

Minagawa Takuya

◉皆川 拓哉(みながわ・たくや)

プロを目指しブラジルに渡るなど、幼少期よりサッカーに明け暮れる。その後「京の庭大工植司」の2代目となり、寺院、ホテル、住宅などの庭づくりを行う。本法寺の「摩利の庭」のほか、妙覺寺にて「十界曼荼羅」をテーマとした石庭を発表するなど、日本庭園を新たな表現でつくり、注目を集めている。

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