Miyawakibaisenan
京扇子
扇子は日本が発祥と言われ、奈良時代から平安時代、記録のために使用されていた木簡を綴じ合わせた「檜扇(ひおうぎ)」が扇子のはじまりと言われている。江戸時代に庶民の日常品として広く普及し、現代でも日常使いに加え日舞、神事、茶道、婚礼などさまざまな用途で扇子が使われている。中国を経由してヨーロッパにも伝わり、今日では世界各国で広く使用されている。
江戸・文政6(1863)年創業の宮脇賣扇庵(みやわきばいせんあん)は、美濃国出身の初代が、京都の扇子屋で修業をしたのち、近江屋新兵衛の株を買い受けて創業した。三代目新兵衛が、店の近くにあった金翠堂という画材屋に出入りしていた日本画家や文人たちと交流があったことから、明治20(1887)年、日本画家・富岡鉄斎により、賣扇桜という京の銘木にちなんで現在の屋号が名付けられた。100年以上前の風趣あふれる町家がそのまま使用された宮脇買扇庵の店舗の2階に上がると、明治35(1902)年に完成した天井画がある。富岡鉄斎、竹内栖鳳、田野村直入など、名だたる12人の画家が扇を描いた画が並び、三代目新兵衛と画家たちの親密さが伺える。
三代目新兵衛は工芸品として飾り扇を考案した人物でもある。それまでは使うのみだった扇子が壁に飾られるようになり、鑑賞できる芸術品として、インテリアとして扇の価値を高めた。
宮脇賣扇庵では創業時から変わることなく、ほぼすべての扇子を自社で製造・販売している。「扇子は87回職人の手を通る」と言われ、骨組みとなる「扇骨(せんこつ)作り」、紙を扇骨に貼り合わせる「地紙加工」、絵付けや箔押しなどの「加飾加工」、扇面に折り目を付け、紙と紙の間に扇骨が入る穴を開けるなどの「折り加工」、仕上げなど、約二十にもおよぶ工程が手作業で行われる。宮脇賣扇庵では、一本の扇子が出来上がるまでに十数人の職人が関わっており、大体2~3カ月かけて出来上がる。飾り扇、手描きの扇子、レースでできた現代風の扇子、切手を貼って郵便物としてそのまま投函できる郵送扇など、高級なものから手頃な価格帯まで多種多様な扇子を取り扱う。
「高齢の方も増えていますし、職人さんが作り続けていけるような体制作りが業界の課題でもあります。われわれの使命ですね」
と、宮脇賣扇庵の代表取締役社長であり組合の理事をつとめる南忠政は話す。
5代目新兵衛の長女の息子として生まれ、20年前から宮脇賣扇庵に従事している南は、新しい扇子のあり方を提案すべく、宮脇買扇庵の隣に新たなショップ「BANANA to YELLOW(バナナとイエロう)」を昨年立ち上げた。近世の商家の風情が残る宮脇買扇庵の店舗とは対照的に、現代的な店構えだ。現代美術家の大竹伸朗、ファッションデザイナー森永邦彦、ミュージシャンのマヒトゥ・ザ・ピーポーらとコラボレーションし、扇子だけでなくTシャツやバッグなどを展開している。
「この店を始めたことで、逆に宮脇買扇庵がよりかっこよく思えてきました。ベクトルが違いますが、自分のなかで二つを競い合わせながら切磋琢磨できたらと思っています。ご先祖様から繋いでもらったことだけをやるのでは駄目だと思うので、歴史にさらに積み重ねていけるようなことも、これからもっとしていきたいと思います」と南は語る。
古きを受け継いでいくために、新しい風を起こす。そうして生まれた「今様」が伝統に組み込まれていくことで、文化や芸術は発展していくのだろう。
宮脇賣扇庵
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◉宮脇賣扇庵(みやわきばいせんあん)
創業文政6年。美濃国出身の初代が、近江屋新兵衛の株を買い受けて創業。現在の屋号は、書画をたしなみ、文人墨客とも深い交流があった三代目新兵衛のとき、明治20年、日本画家・富岡鉄斎により、賣扇桜という京の銘木にちなんで名付けられた。 商標の美也古扇は冷泉為紀の筆による。