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紅村窯 林侑子

Yuko koson

陶磁器

ハサミの先から生まれる新たな美

 

なめらかで、あたたかさを感じさせる乳白色の「西施白磁」。中国古来の製法を踏襲しながら、深く、柔らかな色を実現させた白磁。「紅村窯(こうそんがま)」の陶磁器は、シンプルながら内側からあふれんばかりの光が放たれているようである。
今や京焼の代表格として長い歴史を持つ清水焼。その伝統の中で紅村窯は、3代にわたり技と美を繋いできた。現在、窯元を主に切り盛りするのが、4代目にあたる林侑子だ。新たに「土鋏」を編み出した人物である。和菓子の「はさみ菊」から着想を得た技法で、装飾を施す部分を湿らせ、念入りに研いだハサミで一つ、一つと切り込んでいくと、花や魚の鱗、葉、羽などさまざまな絵が立ち上がっていく。土の状態を見極め、ハサミを入れるタイミングや加減を熟知しているからこそできる美しさは、人の手による賜物だ。歴史ある窯元で新たな技法を生み出す――その内側には、侑子の伝統を守る使命と「自分らしい焼きものづくり」への強い思いがあったという。


焼きものの世界に導いた父の一言

 

 

作陶家の父、テキスタイルデザイナーの母の一人娘として、侑子は育った。紅村窯があるのは、清水寺へと続く山道の一つ「茶わん坂」。ものづくりや商いをする人に囲まれた環境で暮らしてきた。
侑子が中学生の頃、母が死去。使命感にかられ、テキスタイルと近しい絵の道へと進むべく美術系の高校で日本画を学んだ。母の背中を追う一方で、小さい頃から感じてきた「自分が継がないと、窯が残らないのだろう」という気持ちもあったという。
ところが高校卒業後は、アパレル企業に就職。仕事にやりがいを感じていたが、時代の変化とともにいくつもの店舗が撤退した。侑子自身、今後の働き方の変化を求められる時期にあった。
そんな時にあったのが、父の一言だった。「焼きものをやってみないか」。嫌とは言えなかった。侑子は専門学校で陶芸を学び、窯の独自の技法を習得した。父とともに制作に没頭しながらも、自分らしい焼きものづくりを求める気持ちが膨らんでいった。

 

技法を生み出し、歴史を守り継ぐ

 

 

高いデザイン性の器が安価に買える現代において、工芸品としての器の良さを知ってもらう必要があると侑子は考えていた。そんな時代の中で新たな色やかたちなどさまざまに試しながら手にしたのが、土鋏だった。
これは紅村窯の「貼り牡丹」という技法があったからこそと、侑子は話す。土そのものを湿らせ柔らかくし、別につくった意匠を貼り付けていく手法である。伝統的な技法、独自の調合が生み出す色合い、歴史の中で脈々と継がれる美学。それらが融合しているからこそ、土鋏の技や美しさも際立つのだ。
「土鋏が生み出せたからこそ、紅村窯を『守る』こともできるようになったんです。これまでは素晴らしさを伝えるのが難しかったけど、ひと目で凄さや、美しさも伝えられるようになりました」
「紅村」に襲名することで代々継がれてきたが「紅村窯の林侑子」として知られるようになった今、名を変えることにこだわらなくていいと侑子は考えている。ハサミの先で創出する美が、さらなる未来を拓いていくに違いない。

 

◉紅村窯ー林侑子の作品はこちら

紅村窯 林侑子

Yuko koson

◉紅村窯(こうそんがま)
清水寺の参道・茶わん坂にて100年以上の歴史を持つ清水焼の窯元。その歴史は初代・林永次郎による青磁を主とした貿易事業に始まり、2代目の円山(後の初代紅村)が独自の白磁、青磁を開発。現在は3代目の克行と娘の侑子がともに紅村窯の技法を守り、新たな作品を生み出している。

 

◉林 侑子(はやし・ゆうこ)
紅村窯の一人娘として窯元で生まれ、育つ。美術系高校で学んだのち、アパレル企業に就職。その後、家業を継ぎ4代目となる。2016(平成28)年、和菓子の技法より着想した新たな技法「土鋏」を生み出す。技を生かし「京都国際映画」のトロフィー製作を担当するなど、活動・製作する作品は多岐にわたる。
 

■営業時間 11:00~17:00(月曜・金曜日休み)

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