Hiyoshiya
京和傘・和紙照明
和紙、竹、糸という自然素材からできている和傘は、仏教や漢字とともに千数百年以上前に中国より日本に伝来したといわれている。当時は現在のように開閉できず天蓋のような形状で、貴人に差しかけ日除けや魔除け、権力の象徴として使用されていた。その後中世に開閉できる現在のような作りになり、江戸時代になると一般市民に普及したが、明治以後は洋傘の普及により和傘の生産数は減少していった。
京都で作られる和傘は「京和傘」と呼ばれ、生活必需品としての需要は減りつつも、蛇の目傘や番傘のほか、伝統行事や茶道などの行事で使われる道具としてなど、さまざまな用途で用いられている。
日𠮷屋は160年前から5代続く京都に唯一現存する京和傘の工房だ。現在でも手作業で和傘づくりを行う。竹骨を等間隔に並べて糸でつなぎ合わせ骨組みを作り、その上に扇状に切った和紙を自家製のりで貼り、和紙に油を塗り防水加工を施したのち、天日干しをして1~2週間なじませる。そうして約3週間ほどで和傘が出来上がる。
当代である5代目の西堀耕太郎は、先代の娘との結婚を機に日𠮷屋に入った。最初の6年間は平日は和歌山県新宮市役所に勤務しながら週末に京都に通い、和傘づくりの修行に勤しんだ。
「日𠮷屋が和傘屋をやめるということは、京都で京和傘を作るところが無くなるということ。それはあまりにも忍びない。高校卒業後にカナダに留学しているときに、日本の文化について色々と尋ねられ、日本文化には価値があることを再認識させられたこともあり、京和傘の価値をわかりやすく伝えていきたいと思いました」
並行してオンラインショッピングも開始し、廃業寸前だった経営を立て直した。2003年に市役所を退職、日𠮷屋の当主となった。
ある日、和傘を天日干ししているときに、和紙や竹の骨組み越しに透過されたやわらかな太陽の光を見て美しいと感じ、和傘の構造や伝統技法を生かした照明器具を作ることを着想する。そして2年後の2006年、試行錯誤を経てデザイン照明「KOTORI-古都里-」が誕生した。竹の骨組みに和紙を張り、和傘のように開閉できる構造と、その意匠性の高さが話題となり、グッドデザイン賞など各賞を受賞。パリのメゾン・エ・オブジェやミラノサローネなどの海外の見本市でもバイヤーの注目を浴び、世界十数カ国で販売されている。
「KOTORI-古都里-は行政の補助金を受けながら海外に展開したので、そこで得た知見は公共財産ともいえる」と考えた西堀は、2012年に「TCI研究所」を立ち上げ、伝統産業の事業者や中小企業の商品開発および販売開拓を支援する事業を開始した。西堀は日𠮷屋のことを「グローバル老舗ベンチャー企業」と称する。
「うちの会社では僕の代から『伝統は革新の連続』を企業理念にしています。最初から伝統と言われるものは伝統産業に一つもないはずで、初めはどれも新しいものだったはず。お客様に支持されるような商品を作り手がちゃんと生み出し、経済的な合理性に基づくことで、伝統産業も存続していくことができるのだと思います」
その地域やその国ごとに現地のバイヤーやデザイナーと商品を共同開発することにより、日本の特長を生かしながら現地のニーズに合った商品を作り上げ、これまで約800社を支援した。現在は「日𠮷屋クラフトラボ」と改名して、シンクタンクのように専門のプロジェクトチームが支援事業やコーディネーション、行政のアドバイザリー事業などを手掛け、伝統産業事業者を多角的にサポートしている。
「伝統工芸は文化をつくる構成要素のひとつ。僕たち伝統産業の事業者が今の社会から求められているのは、生活の中に身近で感じられるような文化的価値を生み出すことだと思います。伝統や文化は自分の国のアイデンティティですし、誇りに思いたいものです。若い世代に『伝統ってかっこいい』と思ってほしいと願っています」
日𠮷屋から生まれる工芸品や、その取り組みから派生した商品やプロジェクトは、私たちの生活にそっと彩りを与え、文化の下地を育んでいく。
日𠮷屋
Hiyoshiya
◉日𠮷屋(ひよしや)
160年前から5代続く京都に唯一現存する京和傘の工房。伝統行事や祭礼に使われる和傘の製作・修復、各種伝統芸能の小道具製作、照明器具製作などを手がける。日𠮷屋5代目の西堀耕太郎が代表を務める「日𠮷屋クラフトラボ」では、伝統産業や中小企業の支援事業を行っている。
◉西堀 耕太郎(にしぼり・こうたろう)
日𠮷屋5代目。和歌山県新宮市出身。結婚を機に妻の実家である日𠮷屋に入る。2004年、新宮市役所を退職し日𠮷屋の五代目に就任。2012年、日𠮷屋で培った経験とネットワークを活かして、日本の伝統工芸や中小企業の海外向け商品開発や販路開拓を支援する株式会社TCI研究所を設立し、代表に就任(2021年に日𠮷屋クラフトラボに改名)。