Nagaokameichiku
竹工芸-京都
縄文時代の遺跡から竹かごが出土されるなど、日本では古来より竹を重用し、暮らしの中で様々な用途に使われている。京都は盆地で寒暖の差が激しく、タケノコがよく育つ風土に恵まれ、古くから竹の名産地として知られている。京都産の竹のうち、伝統技法により人工的に加工された「白竹」「胡麻竹」「図面角竹(ずめんかくちく)」「亀甲竹」を「京銘竹」と呼ぶ。中でも「白竹」は伐採後の油抜きが他の地域と異なり、表面を火で炙ったのち天日干しをすることで、美しいツヤが出るのが特長だ。京銘竹そのものが「京もの指定工芸品」および京都市の伝統産業として認定され、犬矢来(いぬやらい)などの屋外用の柵から竹かごなどの日用品まで、京銘竹を使った工芸品は広く国内外に愛用されている。天然素材ということもあり、経年とともに新たな表情を見せ、風情が増すのも魅力のひとつだ。
数々の名所の竹垣を手掛ける長岡銘竹は、1952(昭和27)年に初代社長の三島仙一が創業。水質がよく土が粘土質で、京都の中でも竹の名産地として名高い京都・西山の麓に工房を構えた。数種の京銘竹をふんだんに使った袖垣を三島が考案、「西山垣」の名で人気を博し、その後各地に伝播した。袖垣とは、日本家屋の玄関脇に目隠しに設置されている小さな竹垣のことで、現代ではエアコンの室外機や物置などの目隠しとして使用されることが多いそうだ。「褻(ケ)」のものを天然素材の竹を使って見目よく隠すという、日本人の美意識が体現された情緒ある工芸品として、「西山垣」は考案から半世紀以上経った今も長岡銘竹の主力商品のひとつだ。
2代目の三島一郎は日本で二人だけと言われる竹の国家資格一級(竹工芸技能士)保有者として、銘竹の発展に貢献。当代である3代目の真下彰宏は、制作はもちろん、竹製品の魅力を伝えるべく新たな取り組みを続けている。
バブル崩壊後、経営を立て直すため真下は当時社長だった先代に掛け合い、BtoBだけでなくBtoC向けにも事業を展開した。竹垣に加え、京銘竹のボトルスタンド、竹をモチーフにしたカップ&ソーサー、デザイン垣など、現代の暮らしにあった竹工芸品を取り扱っている。
「竹の素材や魅力を知ってもらえるような商品を作って、最終的に竹垣を知ってもらうようになったら嬉しいです。職人は一生修業。つねにチャレンジ精神を持ってやっています」と真下は語る。
多業種とのコラボレーションも盛んだ。ユニクロと京都伝統工芸大学校の学生とコラボレーションして、ユニクロ京都・河原町店に竹工芸品を展示したり、和歌山のアドベンチャーワールドのパンダの食べ残した竹を使い、循環型社会の取り組みとして「パンダバンブーリング」(指輪)を制作するなど、竹を通じて若手育成や環境づくりも精力的に行う。
2016年にはアメリカ・イリノイ州のアンダーソン日本庭園にて開催された「ジャパニーズサマーフェスティバル」に招聘され竹垣制作を実演し、2日間で7500人が来場した。海外での出展や講演も増えつつあるが、放置竹林の管理の指導や竹灯籠ライトアップなど、地域に根ざした取り組みやイベントにも積極的に協力している。
キャッチコピーは「竹で世界中を笑顔に」。「納品したときのお客さんの笑顔がいちばん嬉しいです」と真下は言う。竹が醸し出す有機的な風合いは、デジタル化が進み無機質な物に囲まれる現代社会でこそ求められているものなのかもしれない。
長岡銘竹
Nagaokameichiku
◉長岡銘竹
1952年に初代社長の三島仙一が創業。京都・西山の麓に工房を構え、1966年に長岡銘竹株式会社を設立。海外での活動も多数。主な受賞歴に「バンブーデザインコンペ グランプリ」(2009年、2010年)などがある。
◉真下 彰宏(ましも・あきひろ)
1977年横浜生まれ。5歳の頃に京都府長岡京市へ移り住み、「竹」を身近に育つ。京都伝統工芸専門校で竹工芸を学び、卒業後、98年に長岡銘竹株式会社に入社。入社以来、師である三島一郎(京の名工)に師事し、竹垣製作に従事。2015年3月、「京もの認定工芸士」に認定される。現在、諸外国で竹垣製作や実演、ワークショップをするなど、海外での竹工芸の普及を目指している。