Kikyogama
中井絵夢
緑豊かな風景が広がる京都・亀岡。陶芸家の中井絵夢は京都伝統工芸大学校で陶芸を学び、卒業後に兵庫の丹波立杭焼の窯元で5年間修業。25歳のときに故郷であるこの地に登り窯を自作し、工房・亀京窯(ききょうがま)を立ち上げた。工房名は戦国時代にこの地を治めていた武将・明智光秀の家紋である桔梗にも由来する。
中井が手掛けるのは、素地土に釉薬をかけずに高温で焼成する「焼き締め」と呼ばれる器だ。釉薬によるガラスコーティングが無いぶん落ち着いた風合いを醸し出し、土そのものの持つ表情が際立つ。色が地色と異なる部分やツヤがある部分は、穴窯で焼成した際に火と一緒に灰が当たって生まれたものだ。
窯は工房から歩いて10分ほどの山奥に一年かけて作った。祖父が所有していた山の樹木を伐採して整地し、重量のある耐火レンガを自ら遠方より運び、左官職の知人の手を借りながら約7メートルの穴窯を自作した。一番最初に試し焚きをしたときは2日間寝ずに火の番をしたそうだ。火を焚くという特性上、作りが甘いと一度で崩れる窯もあるそうだが、12年経った今でもメンテナンスの必要もなく順調に稼働している。
年に3~4回、3日間にわたり火を焚き、1回に500~800個の器を焼く。
窯の焚き口とその奥にある煙突の間には傾斜があり、器は焚き口と煙突の間にある焼成室に置かれる。焚き口で薪をくべて織(おこ)された火は焼成室を通り、煙突に向かって斜め上に向かう。器の素地土に含まれる成分、火のまわり具合や温度、その日の湿度、灰となる薪の種類によって器の表情が異なり、ひとつとして同じ器はない。焼き上がったのち器を紙やすりで磨き、手に取ったときの感触をととのえる。そうして出来上がった茶碗、酒器、平皿などの器や壺が工房に並ぶ姿は圧巻だ。
「焼き具合はある程度掴めてきましたが、いまだに『こんなふうに出るんや』と思うときもあります。ツヤツヤに焼きあがることもあれば、落ち着いた感じになることもある。器を使ってもらううちに手触りが変わってきたり、違う色が出てきたりする。お客さんが育ててくれる器かもしれません」
窯の上には小さなお地蔵様が祀られ、「火迺要慎」(ひのようじん)と書かれた大きな札が貼られている。窯焚きには必ず大安を選び、土地の神様と火の神様に感謝し無事を祈願することから始まる。
鉄くずからできた重量のある板を窯にはめ、器を板の上に並べ、松やヒノキ、桜の薪を焚き口にくべ、火が高温になるのを待つ。そのすべてを自らで行い、体力勝負でもあり、暑さ寒さとの戦いだが、
「『火も扱うし、夜とか怖くないの?』とよく聞かれるんですが、あんまり怖いとかしんどいとかはないんです。楽しい方が勝ってます」とにこやかに話す。
目標温度の1200度まで上がると、火は赤ではなく透明に近い白になりとても美しく、それを見ているとあっという間に時間が経つそうだ。
窯焚きをしていると、野うさぎ、キツネ、リスなどさまざまな動物を目にするとう。猿に見守られながら窯焚きをしたこともある。
「自然が好きなんです。空も毎日違っていて、同じ空はない。土をさわって、火遊びをして、草を摘んで。3歳くらいから変わってないのかもしれません」
自分が生まれ育った自然豊かなこの地も大好きだと目を輝かせて語る。修業元だった丹波と近くに流れる音羽川から取って、中井は自身の器を「丹波音羽焼」と名付けた。
中井はいつか窯の近くで、自分がつくった器を使ったカフェを開きたいそうだ。緑の中で窯を眺めながら、丹波音羽焼の器でお茶をする──中井が愛してやまない亀岡の地に、またひとつ憩いの場が生まれる日も遠くないかもしれない。