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清課堂

Seikado

錫・銀・各種金属工芸

江戸創業の老舗の金属工芸の工房

 

 

錫器の歴史は古く古代文明より人々に愛用され、世界最古とされる錫器が紀元前1500年頃のエジプトの遺跡から出土している。日本には飛鳥・奈良時代に伝来したと言われ、正倉院には「錫薬壷(すずのやっこ)」という宝物が現存する。江戸時代に入ると一般庶民に普及し、錆びづらく、熱伝導率が高く、手入れが簡単という利点もあり、現在に至るまで世界各地でさまざまな錫製品が使われている。

清課堂は天保9(1838)年、京都・寺町通りに創業した。門前町であったその近辺には当時30軒ほど錫製品の店があり、その一つに初代が奉公し独立、創業時と変わらず200年近く7代に渡りこの地に店を構える。先代の頃から銀製品に加え銅製品や鉄製品などその他金属を取り扱うようになり、以来さまざまな金属工芸品を製造・販売している。おあつらえの品を特別注文することもでき、また自社他社問わず各種金属工芸の修理も請け負っている。

 

 

大切なのはお客様の満足度

 

 

錫製品は主に、神社仏閣に納める宗教用品や神具、煎茶道の茶道具、飲食器という3つの用途で使われていた。

「他の金属も扱うようになった先代の頃からは、それらを継続しつつも生活工芸品にも力を入れています。今の生活で生きるような、生活のなかで楽しめるような器を心がけています」。

と当代である7代目・山中源兵衛は語る。店舗のショーケースには、茶道具や香道具のほか、酒器、皿、花器、文房具などさまざまな金属工芸品が並ぶ。

山中は子どもの頃は物理や科学に興味があり、当時まだ家庭にパソコンがあることのほうが珍しかった1980年代半ばに、高校生ながら自身のパソコンを購入。その後理系の大学に進むも中退し、その数年後に先代が病気になったこともあり家業に入る。家業のかたわら2人の鍛金職人の元で修業し、金属工芸の腕を磨いた。

以前は小売店に卸していたが、山中の代から直接販売に舵を切った。

「僕が一番大事にしているのは、自己表現よりお客様の満足度です。われわれの作品がお客様の手に渡るまでにいくつもの業者が入ると、作品へ込められた思いや歴史的背景をまったく知らない人が作品を販売することもある。工芸という『匠の芸術』を追求するべく、自分が代替わりして商いをするのなら、自分の手でお客さんに作品を渡したいと思いました」

 

 

店舗内にギャラリーをオープン

 

 

店舗のしつらいにも山中の思いは現れており、清課堂の店舗の外観は2013年に「京都景観賞」市長賞を受賞した。

「店構えはブランドの顔でもあり、とても大事です。照明の色温度もいろいろ変えて、一番きれいに見える表情を探します。今はコロナのこともあり外していますが、以前は暖簾も季節ごとに色を変えていました」と語る。

高校生の頃からパソコンに親しんでいたこともあり、1998年という早い時期からオンラインショッピングも開始した。店舗内にギャラリーを設け、山中の企画運営のもと、国内外のアーティストが手掛ける金属工芸に関する作品を展示販売している。

「金属に関わらず、工芸をしている若い世代の人から『将来が不安だ』とよく聞きますが、経済のテーブルの上に工芸は何らかの形で乗るはずです。やりかたさえ間違わなければ生活もできるし、『自信がないなら一緒にやろうよ』と。自分ひとりだとできないことでも、何人かで手を組めばできると思ったのが始まりです」

店舗には、以前ギャラリーで展示したフランスの作家の作品も並んでいた。コロナ禍では、会場に来れない人のためにオンライン上でVR展示を見れるようにするなど、新たな取り組みも積極的に取り入れている。新たな場を作り、新たなものに挑むしなやかさこそが、「用の美」を守り育てていくのかもしれない。

 

◉清課堂(Seikado)の作品はこちら

 

清課堂

Seikado

◉清課堂
天保9年(1838年)創業、錫器・銀器・各種金属工芸品の専門店。現存する日本最古の錫工房。創業以来、神社・仏閣・宮中の御用品の制作に代々励む。現在では錫器を主に銀器銅器など多様な工芸品を手掛けている。

 

◉7代目 山中 源兵衛
1969年京都市生まれ。1989年に父・六代目山中源兵衛に師事。鎚起師・井上登、浅野美芳に鍛金を学ぶ。2007年七代目山中源兵衛を襲名。金属工芸の製造販売のほか、ギャラリーの企画運営を行う。

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